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つぶやき

長らく放置…

前回の投稿の日時からして、
1年間すっかり放置していたことになる。
あらまぁ。

その間、コメントなどを残していただいた皆様、
大変申し訳ありません。

とりあえず、来年度は、教科書も変わることだし、
授業記録などをつけていけるといいかなと思っています。
(職場のネット環境の制約がいろいろ厳しくなっているのですが、
 授業記録を付けるのは、仕事の一環だから、許されるのではないかしらね)

今年度は、理科も教えていたけれど、
それ以外の分掌上のお仕事の比率が高く、
脳みそはそっち方面で動いていたからなぁ…。

でも、学会発表(支部大会だけど…)で発表ができたので、
今年の成果はあったかなぁと思う。

来年も、できることをがんばろう!

とりあえず、冬休み中の旅行記録は付けておくよ。

岩波「科学」 リスクの語られ方

やっと、読んだ。感想その他を書いておく。

最近ネット上でよく見るもろもろの出来事は、全て織り込み済みなのだ。
例えば、放射能汚染に対してなぜ無関心でいられるのだという苛立ちとか、
コミュニケーションの取り方(政府対住民・怖くない派と怖い派などなど)に
問題があるんじゃないのとお怒りなのとか。
過去に世界のどこかで繰り広げられたことを、
今はまだ踏襲しているだけなんじゃないだろうか。

過去の経験が生かされていないと言えるけれど、
敢えてそこを経験することで1人1人の発見と進化があるのかもしれない。
最初からすんなり一つにまとまらないのが、コミュニケーションだ。

そう考えると、リスコミュの成功事例が気になる。
失敗事例はいくつか見た。
成功事例と同じようにしたから成功するわけじゃないんだけど。
でもうまくいくポイントはあるはずだ。

「社会全体で合意形成」というけれど、
その中の住民とは1人残らず全員ということではないだろう。
定義では住民全員になるんだろうけど、実際にはその他大勢がいるはず。
(たぶん、ここの認識が重要なんだな。私は、住民の力を低く評価している。

住民の何割が認識したら、全体が認識した認定されるのだろうか。
2割が逃げれば、周りもそれに従って逃げるって話を見たけど、同じくらいか?

でも、選挙などの調査では、2割じゃ全体の意見としては認識されてない。

どうなったら、住民全体の意思になるのか。
過去(古代や中世の昔から)の市民運動では、
大抵中心となって活動した人の名前が残っている。

今のリスコミュは、
政府(というか役所)に対抗できる誰かの元に集まってというのとは違うはず。
でも結局は、○○派みたいな形で意見が集約されていくことになるのだろうか。
昔の市民運動と違って、もっと多くの人が意見を言いやすくなったから、
新しい形のコミュニケーションができるはずで、
それを作ろうとしているのが今のこの状態なのだろう。

外国はどうしているのかね?
選挙とか見ていると、やはり主導者がいるよね。
意思を同じくすれば、自然とまとまるものだろうか?


リスコミュの成功した社会というのが、ちっとも想像ができない。
住民の意見が反映された意思決定って、どうしたらそれができるんだろうか。
みんなが意見を言い合ってるだけじゃまとまっていかない。
やっぱり誰かまとめる人が出てくるの? (あ、また同じこと書いてるわ・・・)


やっぱり、密やかに意見を浸透させて、何割動かしたかで決まるのか。
表立ってリーダーになっちゃダメなんだろう。
その人に依存していることになってしまうから。
でもどこかには居るんだろうと思う。意見誘導している人が。


この歴史的なリスクコミュニケーションの推移に更に関心が高まった。
私自身当事者であるのだけれど、ことの経過を私のできる方法で記録しておきたい。
また理科教員として、私の回りにいる人たちに、できる限りの情報提供をしたい。
判断し行動するのは自分自身だ。
私が、その判断や行動を評価することはない。


<おまけ> 無関心に怒りを感じる人と無関心を装う人へ

意見が無いように見せるのも、一つの意思表示(多分)。
市民の意見を集約していくのに、今までの情報ツールは役に立たない。
新たなツールを駆使していかねばならない。
今はまだ、無関心派を含めて、
コミュニケーションが十分に行われている状況ではない。

コミュニケーションを取った上で無関心なのだとすれば、
それは無関心という意見だ。
それをとやかく言うことはできない。
本人がそれで納得しているはずなのだから。
「無関心なんて信じらんない!」と鼻息荒くされる筋合いはない。
「ねぇ、本当にそれでいいの?」と言い続けてもいいけど、鬱陶しい。

でも言いつづけることは必要だ。
コミュニケーションを取れる状態にはしておかなくてはならない。

リスクコミュニケーションから考えた

書こう書こうと思いつつ、1週間も過ぎてしまった。
なんだか今さら感もありありだけれど、せっかくなので残しておこう。

「リスクコミュニケーション」って、実はなんだかよく分かっておらず・・・。
今回、浜松の研究集会に行って、勉強したという状況。
直接専門家の話を聞くのは、理解が進む。

ツイッターでは、震災後しばしば目にはしていたのだけれど、
「災害について共通理解をして安全を確保しよう」くらいにしか考えていなかった。
実際には、政治的なことや利権なんちゃらなどが複雑に絡んでいるらしい。

先日ツイッター上で、
「リスク管理がリスクを管理することではなく、リスクを受ける人を管理することに
なっている」というツィートを見かけた。
あくまでも、国や企業が主体で、国や企業の都合の良いように上手いことしていこう
ということらしい。

その意向は、あちらこちらで見かけることができる。

■経産省の化学物質管理政策の中にある「リスクコミュニケーション」の
 ページを見ると、送り手(企業)が主体であることがチラチラしている。
 → http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/risk-com/r_index2.htm

例えば、
「積極的な情報提供をしていることは、「きちんとしたリスク管理に取り組ん
でいる企業」であることをアピールできます。」

「不幸にして紛争が生じた場合、地域の人との関係がこじれて紛争が長期化し、
 結果として莫大なコストが生じかねません。」

すべての表記がそうではないし、
企業向けに作られているから仕方ないとも言えるけれど、
基本的な姿勢が透けて見えている気がする。



■厚労省のサイトにも、リスクコミュニケーションに関する記事があった。
 → http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/riskcom/01.html

こちらの内容は、「意見交換することがリスクコミュニケーションだ」としている。
さらには、一方的な情報発信もリスクコミュニケーションの扱いだそうだ。



なるほどね。
さて、受け手の私たちはどうしていったら良いのだろうか。
「ふざけるな! 国民をなめるな!! 私たちだって、ちゃんとコミュニケーション
 とれるわい!!!」って言えるといいんだけれどねぇ。
今の私たちに、その力量はあるのだろうか。
まんまと言いように転がされて、それで良くなればいいけれど、
挙げ句の果てに救いようのないところまで落ちるのは耐えられない。

ぼんやりと考えたのだけれど、
これで国と国民の間で本来の意味でのリスクコミュニケーションが行われる
ようになれば、社会の発展段階(というのか?)が1ステージ上がることに
なるのではないだろうか。
「制限選挙→男子普通選挙→男女平等普通選挙」みたいな。
んー、ちょっと違うか。
今までは、代表者が政治を行ってきたけれど、
これからはもっと国民が主体的に政治に関わっていくようになるかなぁと。
これだけ、ネットが発達すると、今まで以上に意見が言いやすくなるし、
意見の取り纏めもしやすくなる。
すご~く昔、コミュニティが小さかった時代にはそういうのもあったのだろうけれど、
これだけ人数が増えたコミュニティでも国民直接参加型の政治は可能になるんじゃな
かろうか。


それが良いのか悪いのか、さまざまな弊害もあるんだろうとは思うのだけれど、
一つの社会が、同じ形態のまま続くとは思えない。
その時の状況に合わせて、生き物のように変化していくはず。
上に立つ人の都合のよいようになるのかならないのか、
それは国民次第ということだろう。

何にしても、国民は知恵をつけなくてはならない。
いいように転がされるのは堪ったものじゃないし、
ツケを払わされるのも御免被りたい。

昔の人が参政権を勝ち取ったように、
今社会が大きく変わるかもしれないのだ。



(*私、政治的な思想があるわけではないので、ただ漠然と考えただけです。)

1学期終了~♪

先週は臨海学校だった。
新潟の海に行ったのだけれど、
ムラサキウニ、バフンウニ、アメフラシ、ヤドカリ、サザエ、
クモヒトデ、ジンガサガイ、ウミウシ、カニなどなど、
たくさんの海の生き物を採集することができた。
(採集したのは私じゃないけど・・・。
 私は写真撮ってただけで、海にも入ってないけど・・・coldsweats01
帰りに寺泊水族館にも行き、海の生物を堪能~notes


先週から今週までの合間に、
「夏休みの自由研究」の授業をした。
1学期最後の授業。

本校では、自由研究は必修の課題ではないけれど、
一人でも多くの子に取り組んでもらいたいので、
1時間みっちりテーマの選び方とかまとめ方について授業している。
最後に、自然観察コンクールのDVDを見て終わり。
今年もたくさんの自由研究が集まるといいなぁ~。

土がないと発芽しない?

植物の発芽と成長について実験中。
発芽に必要な条件として、「水」「土」の2条件で実験。

「土」は、バーミキュライトを入れたものと水だけをちょっと入れたものを用意。
私の予想では水だけでも発芽すると思ったのだけれど、
実際には45個中1つしか発芽しなかった(それもすぐにダメになった・・・)

Hatuga04

水にどっぷり浸かると呼吸困難でダメになってしまうので、
半分くらいは水から出ているようにしたのだけれど、
それでもほとんどが腐ってしまった。。。。

念のため脱脂綿を入れて実験したものは、
Hatuga01 左下の。

無事に成育中。(今はほとんどの種子が発芽している)

この違いは何?
ちなみに教科書その他では、
「土は必要ない」ということを確かめるために、必ず「脱脂綿」を使っている。

でも子どもたちにしてみれば、
「脱脂綿は土の代わりだ」という発想になる。
「いわゆる土」は必要ないけれど、「土の代わりになるもの」は必要なのか。
それは一体なぜ?
調べてみたけれど分からない・・・。

こどものかがく「たね そだててみよう」でも土は必要だと書いてあったな。

土の代わりになるものが必要な植物と必要ない植物もあるんだよな。
おそらく「コメ」は必要ない(水没していても大丈夫なくらいだ)
ダイコンやモヤシも必要なさそう。
でもインゲンマメは必要なのね~。

とりあえず、土の代わりは必要と言うことで「脱脂綿」を使うことにつなげていく予定。


理科と国語

今年は、理科だけでなく「国語」も教えている。
そのため、国語の教科書もじっくり読める。

今までも、説明文教材で理科に関わる内容の題材が扱われていた。
今年度教科書が一新し、残った題材もあれば、新しく取り入れられた題材も。

5年生の「天気を予想する」や「百年後のふるさとを守る」は新しい題材。
それだけではなく、季節ごとに「季節の言葉」として
詩や俳句などを紹介するページができていた。

例えば、「季節の言葉 春から夏へ」では、
「花ぐもり」「春がすみ」「五月雨」「新樹」「若葉」「新緑」「五月晴れ」なんてのが出てくる。

サクラと葉桜の写真を廊下にでも掲示しておけば良かったと反省。
花ぐもりや春がすみについて、天気の授業でふれておけば良かったと反省。
次の「季節の言葉 夏の日」のころにはさりげなく写真などを掲示できるとよいな。

3~6年については、教科書の見直しが必要だなぁ~。

名刺

Meisi

異動がないことが分かったので、実は3月中に作った。
ネットで探したら、このイラストに「おぉ!」と思って、即購入。

青い空に向かっての一本道、その両脇に草原。
ハワイのサウスポイントに向かう道に似ている。
あぁ、また行きたいなぁ~。


4月1日に会議があり、
今年度は5年生と理科と国語(TT)を教えることになった。
国語は、各クラス2時間で、内1時間はT1で言語事項を中心、もう1時間はT2。
理科は昨年度と同様。
昨年度はノート中心の指導を行って、3学期の単元はブログにまとめたので、
とりあえず1・2学期の単元についても授業の経過をブログにまとめていきたいと思う。

福島原発に関連したここ最近の様子を見て

私は文系理科教員なので、
一応理科は勉強しているけれど、
思考パターンはいわゆる理系の人たちとは違う(らしい)と思っている。
実際にそのような指摘を受けるし。

たぶん世の中のある程度の割合の人は、
科学で扱われている事柄はすっかりはっきり答えが出ていると思っている。
つまり、放射線についても「量が○○までは安全で、○○を超えると危ないよ。」と
答えが出ていると思っている。(答えが出せるんだろうと思っている。)

でも、放射線の人体への影響ってそこまで詳しく分かっていない。
急性障害についてはかなりよく分かっているけれど、
晩発障害については障害がありそうだということしか分かっていない。
どの程度放射線を浴びるとどうなるかというデータが揃っていないのだ。
(これはいろいろな要因が複雑に絡み合っている)

「これくらい浴びると危ないらしい」という判断基準が人によってマチマチなのだ。
一応国の基準はあるのだけれど、それも科学者の人たちの統一された見解ではない。

そんなわけだから、科学者や科学者っぽい人たちがそれぞれに、
自分の意見を述べて、収拾がつかなくなっている(ように見える)。

世の中のある程度の割合の人たちは、
科学者の人たちがあれこれ言い合っているのを見慣れていない。
科学者はみんな同じことを言う、
あるいは賛成派反対派があっても意見の対立が分かりやすい形で行われる
と思っている。

今までは、誰かの意見を聞いて、「なるほどなるほど、そうだそうだ。」と
思っていれば良かった。
今回はいろいろな意見を聞いて、自分で判断しなくてはならない。



科学者の人たちに限らず、理科教員の中にも、
おかしな具合になっているのではないかと思われる人もいる。

誰の意見に賛成しようと、自分でどんな意見を持とうと、
それはその人の意志である。誰かに流されたいという意志もあるだろう。
でもそれを、「考えが足りない」とか「騙されている(騙している)」とか言っていいのかな?


「御用学者」なんて言葉まで出てきてさ、なんだかなって感じ。
国や原子力関係者に都合の悪いことは「大丈夫。大丈夫」で済ませてると言うけど、
実際どれほどのリスクがあるのかは分からないのだし。
かたや、「もう危険。すぐ危険。とにかく危険」だったりするし。


エネルギー教育に力を入れている、セミナーに参加したというと、
「さては原発推進派だろう。まんまと騙されて、愚かだな」と言われたことがある。
(言葉はそのままではないけれど・・・)
地球温暖化問題でも似たような指摘をされたことがあるなぁ~。
(地球温暖化は、世間の流れに身を任せ、温暖化するらしいよの立場をとっている。)

理科って、データを収集して検討して結論を出して、理路整然としているはずなのに、
なぜ攻撃的(感情的)な感じになってしまうのだろう。
ある種の緊張状態にあるからかなぁ。

修了式

震災の影響で、勤務市では修了式が前倒しになった。
本当は25日金曜日のはずだったのが、本日が修了式。
卒業式だけは予定通り24日だけれど、規模を縮小して行われる。

先週地震の後、2クラスだけ授業をすることができた。
もともとの授業内容もあったので、
地震について詳しく触れることはできなかったのだけれど、
少しだけ放射線について話をした。

10分ほどで、
「放射能・放射線・放射性物質」について。
最後に、「なんのために理科の勉強をしているのか」を話した。
いろいろな情報を聞いてただ恐れたり踊らされたりするのではなく、
自分で考えて自分はどうしたらいいのかを考えられるようにするために、
理科の勉強をしている。
社会に出たら理科で勉強したことなんか役に立たないという人もいるけれど、
そんなことはない。
今のニュースを聞いて、ただ恐ろしがるのではなく、
自分で判断して正しく恐れることが大切だ。

時期が時期だけに、深く考えている様子が見られた。

今後、理科教員として、
授業を通して何を子どもたちに伝えていくのか、
深く考えさせられる。

新燃岳の軽石の入手法

宣伝っぽくなってしまうのだけれど、
なかなか個人では手に入れにくいだろうと思うので紹介します。
拡散推奨だそうなので、興味のありそうな人に教えても大丈夫です。


以下転載downdowndowndowndown

新燃岳山頂火口から7キロに位置する御池小学校に、軽石が7センチ積もりました。1月26-27日の噴火のときです。軽石の上を覆う厚さ1センチの火山灰はその後の噴火で降り積もったものです。1月26-27日の噴火がいかに激しかったかがわかります。

この軽石を全国の希望者にお送りします。火山の勉強に役立ててください。軽石50グラム(写真右)で300円。2月24日からメール便で送ります。軽石が届いて満足したら、定額小為替で後払いしてください。配布希望者は、haruna495@yahoo.co.jpへ住所・氏名・電話番号をメールしてください。用途目的を問いません。

500グラムあるいは1キロの大量注文も承ります。その場合は着払いで送ります。料金は500グラムで500円、1キロで1000円いただきます。いずれも発送開始は2月24日から。
http://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-324.html

転載以上upupupupup