リスクコミュニケーションから考えた
書こう書こうと思いつつ、1週間も過ぎてしまった。
なんだか今さら感もありありだけれど、せっかくなので残しておこう。
「リスクコミュニケーション」って、実はなんだかよく分かっておらず・・・。
今回、浜松の研究集会に行って、勉強したという状況。
直接専門家の話を聞くのは、理解が進む。
ツイッターでは、震災後しばしば目にはしていたのだけれど、
「災害について共通理解をして安全を確保しよう」くらいにしか考えていなかった。
実際には、政治的なことや利権なんちゃらなどが複雑に絡んでいるらしい。
先日ツイッター上で、
「リスク管理がリスクを管理することではなく、リスクを受ける人を管理することに
なっている」というツィートを見かけた。
あくまでも、国や企業が主体で、国や企業の都合の良いように上手いことしていこう
ということらしい。
その意向は、あちらこちらで見かけることができる。
■経産省の化学物質管理政策の中にある「リスクコミュニケーション」の
ページを見ると、送り手(企業)が主体であることがチラチラしている。
→ http://www.meti.go.jp/policy/chemical_management/law/risk-com/r_index2.htm
例えば、
「積極的な情報提供をしていることは、「きちんとしたリスク管理に取り組ん
でいる企業」であることをアピールできます。」
「不幸にして紛争が生じた場合、地域の人との関係がこじれて紛争が長期化し、
結果として莫大なコストが生じかねません。」
すべての表記がそうではないし、
企業向けに作られているから仕方ないとも言えるけれど、
基本的な姿勢が透けて見えている気がする。
■厚労省のサイトにも、リスクコミュニケーションに関する記事があった。
→ http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/iyaku/syoku-anzen/riskcom/01.html
こちらの内容は、「意見交換することがリスクコミュニケーションだ」としている。
さらには、一方的な情報発信もリスクコミュニケーションの扱いだそうだ。
なるほどね。
さて、受け手の私たちはどうしていったら良いのだろうか。
「ふざけるな! 国民をなめるな!! 私たちだって、ちゃんとコミュニケーション
とれるわい!!!」って言えるといいんだけれどねぇ。
今の私たちに、その力量はあるのだろうか。
まんまと言いように転がされて、それで良くなればいいけれど、
挙げ句の果てに救いようのないところまで落ちるのは耐えられない。
ぼんやりと考えたのだけれど、
これで国と国民の間で本来の意味でのリスクコミュニケーションが行われる
ようになれば、社会の発展段階(というのか?)が1ステージ上がることに
なるのではないだろうか。
「制限選挙→男子普通選挙→男女平等普通選挙」みたいな。
んー、ちょっと違うか。
今までは、代表者が政治を行ってきたけれど、
これからはもっと国民が主体的に政治に関わっていくようになるかなぁと。
これだけ、ネットが発達すると、今まで以上に意見が言いやすくなるし、
意見の取り纏めもしやすくなる。
すご~く昔、コミュニティが小さかった時代にはそういうのもあったのだろうけれど、
これだけ人数が増えたコミュニティでも国民直接参加型の政治は可能になるんじゃな
かろうか。
それが良いのか悪いのか、さまざまな弊害もあるんだろうとは思うのだけれど、
一つの社会が、同じ形態のまま続くとは思えない。
その時の状況に合わせて、生き物のように変化していくはず。
上に立つ人の都合のよいようになるのかならないのか、
それは国民次第ということだろう。
何にしても、国民は知恵をつけなくてはならない。
いいように転がされるのは堪ったものじゃないし、
ツケを払わされるのも御免被りたい。
昔の人が参政権を勝ち取ったように、
今社会が大きく変わるかもしれないのだ。
(*私、政治的な思想があるわけではないので、ただ漠然と考えただけです。)










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